1986年4月26日。旧ソ連、現在のウクライナ共和国でその爆発事故は起こった。実験中の4号炉が爆発したことにより発生した放射性物質は、広島の原爆の400倍との記録(IAEA)がある。またこの事故による直接・間接の死者数は実際数十万人とも言われているのだが、ソ連政府の発表によると運転員、消防士合わせてたったの33人・・・。そんな訳は・・・。恐ろしい・・・。
原発から30km圏にあるジチャートキ検問所。ここから先に入るには事前に特別の許可証を入手する必要がある。
チェルノブイリと書かれた看板。赤の斜線は「消滅した村」であることを示している。
こんな立ち入り禁止区域内にもなぜか泊まれる宿がある。これが今夜の寝場所、ちなみに原発からの距離はおよそ10km。
原発に最接近、およそ200m。
原発周辺の放射線量はこの通り7.39マイクロシーベルト。ちなみに自分の住む横浜は0.03マイクロシーベルト。事故から26年が経過しても依然としてこの高さ。驚くべきことに原発のすぐ横で日中作業に従事している人々がいる。なぜなのか?
事故後、原発はこれ以上放射能が漏れないよう、「石棺」と呼ばれるコンクリートの建造物に覆われている。ただし耐用年数は30年、間もなくタイムリミットが・・・。そこで、その石棺をさらに覆うシェルターを建設する計画が立てられた。そんなわけで原発周辺は現在、建設作業員たち、売店や食堂や宿泊所で働くおばちゃん、清掃や洗濯の業者などおよそ3,000人近くの人々が就労しているという。2週間立ち入り禁止区域で働くと、次の2週間は除染のためか強制的に区域外に出され、また2週間区域内で働くという生活をもう何年も続けているそうだ。防塵マスクなど重装備で働いてるのかと思いきや、ノースリーブで談笑しながら歩くおばちゃん、短パンTシャツで芝刈りをするおじちゃんに数多く遭遇した。大丈夫なのか?毎年健康診断を受けているが、特に異常はないと言う。
原発周辺は予想していた緊張感とは程遠く、一種異様なまでの、のどかさと活況を呈していた。
その一方で、住む人がいなくなり無人の原野となった周辺地域は、皮肉なことに花が咲き乱れ、野生動物の宝庫となっている。