それでは虐殺事件以降20年が経過した現在、ルワンダはどのような状況なのか?
改めてルワンダ虐殺事件の全容を振り返ってみる。
・人口700万人のうち、およそ15%に相当する100万人が命を失った。
・その犠牲者の大半が働き盛りの世代で、特に若い女性や子どもたちが多い。
・2つの民族で構成されるこの国で、その後も深く刻まれるであろう民族間の憎悪の念。
これらのことから推測するに、事件後この国が発展してきたとは到底想像し難い。
なんと驚くべきことに、ルワンダはこの20年間で経済的に大きく発展していたのだ。
特にここ10年の間は、毎年7%もの経済成長率を誇っている。
ちなみにルワンダは決して資源国ではない。石油もなければ金も銀も出ない。
では一体なぜ、資源もない、若い世代も少ない、人の心も建物も崩壊してしまったルワンダがこの短期間に奇跡の復活を遂げることができたのか?
この経済発展の理由はいくつか挙げられる。
ルワンダの首都キガリ郊外にある虐殺記念館。
海外からの来館者は多数いるものの、ルワンダ人の来館者はほぼいないという。
あれから20年が経過した今でも、被害者側の民族はもとより、加害者側の民族も決して思い出したくない悲しい記憶なのだろう・・・。
昨日まで仲良く一緒に遊んでいた友達が、ある日を境に突然豹変して自分に襲いかかってきたらどうだろう?
昨日まで仲良く近所付き合いをしていた隣人が、ある日を境に突然武器を振り回して自分を殺しにきたらどうだろう?
こんな非現実的とも思えることが、今からおよそ20年前の1994年にアフリカ大陸中東部のルワンダという国で現実に起こってしまった。
ルワンダは海のない内陸の小さな国で、「千の丘がある国」と呼ばれている通り、首都のキガリ周辺は坂道がとても多い。
また、一年を通じて降雨量が多く緑豊かな美しい土地で、ルワンダコーヒーが有名な、のどかで素朴な国だ。
大統領暗殺事件を契機に、メディアによる扇動にまんまと乗っかってしまった一方の民族が、民兵として一気に集団暴徒化し、わずか100日の間にもう一方の100万人近くの罪なき民族を極めて残虐な方法で虐殺してしまった。