フォートポータルから2~3時間は走っただろうか、コンゴ共和国との国境付近まで来たところでガイドが、
「ピグミー族の村に着いたぞ」
ウトウトしかけていた目が一気に覚め、クルマを飛び下り小走りで村へ。
初めに村長にごあいさつ。確かに成人男性の割に背はかなり低い。
この村にはかなり観光客が来ているらしく、村長の家の中には来訪者との写真でいっぱいだ。村人は部族の踊りを見せてくれ、口々に写真を撮るように言ってくるものの、そのあとに必ず小銭を要求される。やはり相当観光客慣れしているようだ。
小銭を渡したら渡したらで、「なんであいつの方が多いんだ」的なことを言ってくる輩も現れる・・・。
(う~ん、そういうことなら村に両替機をおいといてくれ。)
案の定小銭が底をつき、あとは紙幣だけに。紙幣を大盤振る舞いする訳にもいかないので、そのあとは村人に気づかれないよう隠し撮りを慣行。
カシャ!
やばい!ばれた!5~6人が手を出しながらこちらに詰め寄ってくる。
言葉がわからないフリをして何とかごまかす。村人は一様に不機嫌な表情だ。
ふれあい交流が半分、隠し撮りのスリルが半分、十二分に満喫したピグミー族の村の訪問を終え、次のターゲット、チンパンジーに会うために道を急いだ。
ある雑誌の見出しで『世界最小の民族ピグミー族』とあるのを見つけた。
少数民族マニアとしては、これは会いに行かないわけにはいかない!
ピグミー族はアフリカの赤道付近の数か国に分布して暮らしている。さて、果たしてどこの国のピグミー族に会いに行くか。ピグミー族がいるのは、ガボン、コンゴ、中央アフリカ、ブルンジ、ザンビア、ルワンダ、ウガンダ。よし、ウガンダに決めた!(自分の中だけで)トントン拍子に事は進み、空路でウガンダへ。
ウガンダの首都カンパラに着くと、早速ピグミー情報を集める。ピグミー族はどうやらウガンダの西の果て、コンゴ民主共和国との国境付近にいるらしい。ちなみにコンゴ民主共和国のウガンダ国境付近は外務省の渡航情報では最高レベルのレベル4(退避勧告)。(う~ん、危険過ぎる。今回は国境を越えるのはやめとこ・・・)国境マニアとしての使命は封印し、少数民族マニアとしての使命に的を絞ることにした。
バスターミナルに移動し、西部の都市フォートポータル行のバスを見つけ早速乗り込む。
にしても、何なんだ?このバスの止め方は!それから、物売りの人多過ぎ!そのせいでバスターミナルを脱出するのに1時間以上を要する羽目に・・・。
フォートポータルに着くと早速クルマの手配。日が暮れる前に会いに行かねば。高鳴る胸を押さえながら道を急ぐ。
イスラム国(IS)の首都とされるラッカという街から直線距離でおよそ100㎞。『パルミラ』という世界遺産に登録された遺跡がある。
パルミラ王国は紀元前1世紀から3世紀にかけてローマ帝国とメソポタミアをやペルシアを繋ぐシルクロードの中継都市として繁栄した都市国家で、ベル神殿、列柱道路、ローマ劇場などが有名なとても美しい遺跡・・・だった。
そんなパルミラ遺跡が2015年5月、ISに制圧され支配下に置かれてしまった。ベル神殿は破壊、凱旋門は爆破され、辺り一面には無数の地雷が埋められたと報道されている。
遺跡に隣接するタドムルの街。
あの日、昼ご飯を食べたあの食堂は、今どうなってるのだろうか・・・。
バスの時間を教えてくれたあの優しいおじさんは、今どこにいるのだろうか・・・。
2017年2月現在、シリア国民のおよそ半数にあたる約1150万人が難民となり、そのうち約400万人が国外へ脱出。この難民数は世界最多、全世界の難民の5分の1はシリア難民ということになる。
ロシア軍の空爆支援の末、2016年3月パルミラはISからの奪還に成功した。
が・・・遺跡のほとんどは破壊され、ユネスコも修復は不可能と判断するほどの惨状だという。
そして2016年12月、パルミラの遺跡は再びISに制圧された・・・。
ほんの数年前、まだこの国は平和だった。
街は活気で溢れ、人々は談笑し、夜遅くに出歩いてもまったく危険を感じることすら無かった。
首都ダマスカスのカシオン山は旧約聖書に登場する舞台。兄のカインが弟アベルを殺した場所。つまり人類最初の殺人事件が起こった場所とされている。訪れた当時は首都の街並みを一望できる夜景の綺麗なビュースポットになっていた。
聖書に記された殺人事件からおよそ2,500年後の今、それと比較にならない程壮絶で凄惨な悲劇がこの場所で起こってしまうことを誰が予測できただろうか・・・。
現在、外務省の渡航情報では全土がレベル4の退避勧告。この国の地図は真っ赤に塗られている。
シリア内戦・・・アサド率いるシリア政府軍と反政府武装勢力との争い。反政府武装勢力には、イスラム国の他、アルカイダ系のヌスラ戦線、クルド人勢力など複数の武装勢力が入り乱れ、先の見通しは全く立たず泥沼化している。
夜になると人々はスーク(市場)に集まり、とても賑やかだ。
在りし日の国家、平和なシリアがその時はまだ確かに存在していた。