事故当時、原発周辺には原発関係者とその家族以外にも住人がいた。周辺の村で農業を営む人たちだ。それでは原発事故の後、その周辺の村の住人たちはどうしたのだろうか?うわさによると彼らは一旦は村を離れたものの、やはり生まれ育った村の暮らしが忘れられず、また村に戻って普通に生活しているのだという。居住禁止区域なのに・・・原発からわずか3kmあまりなのに・・・。う~ん、彼らは一体どんな暮らしをしているのだろうか?それをこの目で確かめるため、早速村に向かった。
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チェルノブイリ原発から4kmほど北に行ったところに「プリピャチ」という街が・・・、いや、街だった場所がある。原発で働く従業員とその家族が住むためのベッドタウンとして建設され、当時の人口は約5万人。高層マンションが立ち並び、映画館や劇場、体育館やプール、緑豊かな公園や遊園地もある、とても住みやすく近代的な街だった。
あの日が来るまでは・・・。
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1986年4月26日。旧ソ連、現在のウクライナ共和国でその爆発事故は起こった。実験中の4号炉が爆発したことにより発生した放射性物質は、広島の原爆の400倍との記録(IAEA)がある。またこの事故による直接・間接の死者数は実際数十万人とも言われているのだが、ソ連政府の発表によると運転員、消防士合わせてたったの33人・・・。そんな訳は・・・。恐ろしい・・・。
原発から30km圏にあるジチャートキ検問所。ここから先に入るには事前に特別の許可証を入手する必要がある。