三日目の夜が明けた。いや、明けてしまった・・・。
今日はいよいよ帰る日だ。いや、帰らなければならない日だ・・・。
昼過ぎに迎えに来る約束の車はちゃんと来るのだろうか。いや、来てしまうのか・・・。
すっかり愛着が湧いてしまったこのゲルでの生活も終わりに近づき、複雑な思いが芽生えてくる。
家族のみんなも最後の日を意識しているのか、昨日よりも口数が少ない。
「おい、あんた。ちょっとこれを着てみな(モンゴル語)。」
さっきから奥でごそごそと探し物をしていた父ちゃんがモンゴルの民族衣装を取り出してきた。
「これを着たら家族みんなで写真を撮ろう(モンゴル語)」
父ちゃんの言葉に少しウルッと来た。
ブルルルル~!
モンゴルの草原に似つかわしくない機械音が響く。
(ああ、迎えのクルマが来てしまった・・・)
クルマに向かう自分の足がとても重い。重たすぎる・・・。
家族のみんなも泣いている。切ない、切なすぎる・・・。
月に帰るかぐや姫も、きっと最後はこんな気持ちだったのだろう。
「さよ~なら~、みんな。もう会えないかも知れないけど、元気でな~!」
父ちゃん、母ちゃん、プルドルチュ、ドールコルスーレン、サオックスルン、バッツァンナン。みんなの姿がみるみるうちに小さくなっていく。
「最高の旅をありがとう〜!」
帰国後、たくさんの写真と日本のお菓子、それからお土産であげたシャープペンの替え芯を大量に送ったのだが、果たして届いているのだろうか。
以来、テレビでモンゴルの遊牧民の姿が映し出されると、必ず彼らの姿を探すことにしている。
寒い・・・寒すぎる・・・。
モンゴルの夜は冷える。
6月なのになぜにこんなに寒いのか・・・。
あらかじめ夜の冷え込みを想定して、お借りした服を5枚も重ね着し、毛布も3枚重ねたにも関わらず、トイレが近い。近いと言っても実際にはトイレは無い。ゲルの外の好きな場所で用を足す。あまりの寒さに朝までこれを繰り返すこと5回。6回目の尿意をもようした頃、ようやく夜が明けた。
うわっ、よく見たらこの子どもたち、ランニングシャツで寝てたのか。
しかも凍りつく地べたに毛布一枚で・・・。あぜん、と言う他ない。
昨日は半袖で過ごせたのに今日は寒い。6月だからと油断して薄っぺらのシャツしか持って来なかった自分の読みの甘さを痛感する。
首都ウランバートルから車に揺られて3時間余り。建物一つ建ってない大草原の風景もだいぶ見慣れてきた頃、ぽつぽつとゲルが立ち並ぶ集落の前で車は止まり、草原に降り立った。
「ここで今日から3日間過ごしてください。家族には了解を取ってあります。あさっての昼ごろ迎えに来ます。では。」とだけ言い残し、あっけなくガイドはその場を立ち去った。
「大草原のゲルで遊牧民と暮らしたい。」
という一心でモンゴルの首都ウランバートルまでやってきた。そして、宿泊先のホテルの支配人に懇願して、ここまで連れてきてもらったのだ。
お世話になる家族は5人家族。お父さん、お母さん、長男のプルドルチュ、長女のドールコルスーレン、次男のバッツァンナン。
早速、あいさつ代わりに白樺の森へ一緒にお散歩。木登りに興じ、童心に帰る。自然とどちらが高いとこまで登れるか、木登り競争になる。
湘南藤沢の松林で育った自分は、小さいころから松の木登りは得意中の得意。こんな子どもに負けるはずは・・・。負けた。
「そんなに細い枝まで登ったら折れるわ!わかった、降参だからもう降りて来なさい」
ゲルに戻るとこどもたちとお昼ごはん。
食べ終わるや否や、草原でじゃれ合う兄妹。この様子はこちらで詳しく。
もう一つの民族は「チベタン」。いわゆるチベット民族だ。なぜチベット民族がネパールにいるのか?
それは1950年代に中国のチベット自治区内で起こった「チベット動乱」により、ダライ・ラマ14世が中国を脱出しインドに亡命。その後インドのダラムサラでチベット亡命政府を樹立。その亡命政府を追って多くのチベット民族がヒマラヤ山脈を越えてインドへ渡った。その時インドまでたどり着けずに、途中のネパールに留まったチベタン達が難民と化した。そして難民キャンプを作り、やがてチベタンの民族村を形成し、現在に至っている。ただ、ネパールに亡命した後もチベタンの就職は難しく、短期の日雇いの仕事を見つけるのがやっと。ということは、彼らチベタンはさぞかし暗く寂しい生活を強いられているに違いない・・・。
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世界で一番高い山エベレスト(現地語ではサガルマータ又はチョモランマ)。標高は8844m、富士山のおよそ2.3倍の高さだ。
そのエベレストを含む8千m級の山々が連なるヒマラヤ山脈のふもとに「ネパール民主連邦共和国」は存在する。
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5時間くらい経っただろうか。
いよいよ陸地が見えてきた。
スマトラ島だ!
トラの姿はまだ見えない・・・。
インドネシア入国の手続きを済ませて上陸する。
う~ん、上陸前はジャングルのイメージしか無かったのだが、意外にもフツーの街並みだ。
だが、さすがはジャングルの島。
一瞬のスコールで、道路はあっという間にこの通り。
市場でこの島の特産物を物色する。
エビが苦手な人には堪らない画像だろう・・・。
レストランはいわゆる「置き薬商法」。
とりあえずフルに皿が並べられ、食べた分だけ後でチャージされる。
(でも、これって、前の人が食べ残した皿に補充して持ってきてるんじゃ・・・?)
いやいや、余計なことは考えないでおこう。
その後、猿のTシャツがかわいい兄ちゃんの人力自転車に乗り、
小学校では少年少女たちとふれあい、
昭和の時代のカラオケボックスのようなものを横目で見ながらスマトラ島の観光を終えた。
後でわかったことだが、「スマトラトラ」は絶滅危惧種で、動物園以外ではスマトラ島のみで生息する。
生存数は現在およそ300頭しかない。
ましてや本州の2倍の広さのスマトラ島で、どうやら自分ごときが簡単に見つけられる動物では全然なかったようだ・・・。
マレーシア南部にあるマラッカ市。
世界的に有名なマラッカ海峡に面した歴史ある街だ。
その証拠にマラッカ市は街全体が世界遺産に指定されており、いつも大勢の観光客で賑わっている。
幸福度ランキング世界一の国ブータン。
たった一枚の写真が自分を惹きつけ、そしてこの国に向かわせた。
(なんなんだこの寺は?一体どうやって建てたんだろ?
ここまで本当に行けるのかな?よし!行ってみよう!)
タイからカンボジアの国境を越えて、
世界遺産アンコールワットのすぐ近く。
トンレサップ湖という名の大きな湖にやってきた。
ここは雨期と乾期で激しく水位が変わる。
なので、この湖の近くにフツーに家を建ててしまうと
後でとんでもないことになる。
「コンニチハ~、カンコウデスカ~?」
出た!
海外の観光地に必ず現れる、片言の日本語を操る怪しげな自称ガイド!
「ボクハイマニホンゴヲベンキョウシテイマス」
ん?と思いきや、よく見ると真面目そうな青年だ。
ごめんね、誤解してたようだ・・・。